ボルカ―のインフレ退治

¡Hola!(オラ!) 凡庸なる投資家ラテン系BOTAです。

8月の米消費者物価指数CPIは市場予想を上回る8.3%となり、インフレ鈍化期待が一気に後退して、マーケットはリスクオフになりました。

これにより、9月FOMCでは0.75%の利上げが確実となり、1%の利上げ予想も出始めています。

個人的には0.75%の利上げと予想しますが、インフレ退治の為、パウエル議長が思い切った利上げをする可能性も捨てきれませんね。

0.75%であれば市場は落ち着き、1%であれば、再びリスクオンともいわれていますが、0.75%でも相当なものですが、市場は動揺しないのでしょうか。

それにしても、米国のインフレは落ち着く気配を見せないですね。

パウエル議長は本気で景気を壊してでも、インフレ退治をすることでしょう。

過去にもインフレ局面が当然あり、各国当局は対応をしております。

今回はインフレ・ファイターとして名高いポール・ボルカーの対インフレ政策を簡単に調べてみました。

70年代後半の米インフレ

1979年のイラン革命の混乱による産油国イランの原油生産が激減したため、世界的な原油不足に陥りました。

元々イランの石油は、メジャーと呼ばれる巨大資本に独占されていましたが、イラン革命を主導したホメイニ師率いる革命政権は石油の国有化を宣言。

当時のOPECもイランに同調して、増産に慎重な姿勢を取ったため、原油不足に拍車がかかり、1973年の中東戦争に端を発した第一次石油ショックに続いて、第二次石油ショックと言われることになります。

原油価格の高騰を受け、物価は上昇。

先進各国はインフレと経済低迷に苦しむことになります。

米国では1980年にCPIが14.8%をピークに下降していたものの、1982年でもコアCPIで13.6%にも達していました。

なにやら現代のインフレを彷彿とさせますね。

では「インフレ・ファイター」ボルカー氏はどのようにインフレと対峙したのでしょうか。

サタデーナイト・スペシャル

1979年にFRB議長に就任した、ポール・ボルカーは議長になってまだ間もない1ヶ月後に金融引き締め政策を決定します。

ウォール街のパワーエリートたる証券マンたちがリラックスしている土曜日にFOMCを緊急招集し、金利中心だった政策手段を変更して通貨供給量(現金と預金の総量)の圧縮を図る激烈な金融引き締め策を打ち出します。

土曜の夜に決定したことから、映画「サタデーナイトフィーバー」にかけて、「サタデーナイト・スペシャル」と呼ばれています。

この「サタデーナイト・スペシャル」は当然のことのながら、市場に大きな影響を及ぼし、米株式市場は一時10%を超える下落をし、ボルカーショックと呼ばれる急落を引き起こしました。

パウエル議長は市場と対話しながら、徐々に市場に織り込みしようとしているようですが、ボルカー氏の場合は電撃的だったようです。

結局「サタデーナイト・スペシャル」は、GDPの減少、失業率の増加、産業稼働率の低下と引き換えに3年の歳月をかけて、物価上昇率を5%まで引き下げインフレを抑制することに成功しております。

その後、物価上昇が落ち着きを見せ始めたことにより、米国はレーガン政権下、金融緩和に踏み切り、経済が好転していきます。

おわりに

小難しい話を省き、非常に簡単にボルカー時代のインフレ退治を見てきましたが、インフレ抑制に3年もかかっていますので、現在のインフレもそう簡単には収まらないでしょう。

そうなると、ドル高円安トレンドは続き、ますます我々米株投資家は買いずらい地合いが続きそうですね。

米国の利下げは2023年末ともいわれていますが、どうなることやら。

ボルカー時代の株価は金融引き締め時は低迷し、緩和に舵を切ってから上昇し始めております。

この事例に現在を照らし合わすと、まだまだ株価の低迷は終わらなそうですね。

 

ではこの辺で、アディオス!