1929年世界大恐慌の風景

¡Hola!(オラ!) 凡庸なる投資家ラテン系BOTAです。

私が本格的に株式投資を始めたのが2019年11月からなのですが、その短い間にあのコロナショックを経験したことになります。

投資をしていない時でも世間を賑わせた暴落で記憶に残っているのが、ドットコムバブル崩壊、リーマンショックくらいでしょうか。

当時は株をやっていなかったので、大変だなくらいしか思っておりませんでした。

歴史上様々な株式暴落がありましたが、歴史的な大暴落は1929年の世界大恐慌の始まりとなったウォール街の大暴落であります。

歴史の教科書に載ってますので習いましたね。

最近読んだチャールズ・エリスが選ぶ「投資の名言」という本の中に、「あの29年大暴落の実況」という項目がありました。

因みにチャールズ・エリスは投資本の名著「敗者のゲーム」の著者として有名です。

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1929年に起きた大暴落の実況なのですが、実に淡々と記載されております。

感情を排して時系列で述べられているので、かえってリアルでありました。

なにやらコロナショック時を思い出しました。

せっかくなので、その実況を要約しみました。

世界大恐慌とは

その前にそもそも世界大恐慌とはなんだったのか、おさらいです。

教科書的にはこのような記述であります。

アメリカの投資家(株主)たちは、湯水のようにつぎ込んでいた資金を回収できないのではないかと不安になり、株価の値下がり前に売ってしまおうという心理が一斉に働いて、1929年10月24日(木曜日)に、ニューヨークのウォール街にある株式取引所で一斉に株価が暴落した。企業に投資していた銀行に対し、預金者は一斉に預金を引き出しに殺到し、支えきれなくなった銀行が倒産。融資のストップした企業は倒産し、工場は閉鎖され、労働者は解雇されて失業者があふれた。有効需要はますます低下し、さらに不況が続くという悪循環に陥った。当時のアメリカ共和党フーバー大統領は不況は周期的なもので、景気はまもなく回復すると考え、また「自由放任主義」、つまり市場原理に任せておけばいいという従来の共和党の基本方針を守ったため対応が遅れることとなった。

アメリカ発の大暴落により株価は七分の一に暴落、銀行倒産六千件、失業者千万人。。。などと言われております。

ソ連が影響を受けなかったことから、統制経済が見直され、全体主義の国が増えやがて第二次世界大戦へと向かうことになります。

あの29年大暴落の実況

それでは時系列で当時どのような状況だったのか、実況をまとめてみました。

9月上旬に相場は大きく下げたが、回復が早く9月19日には9月3日の水準を上回っていた。

下げ相場はそれから始まった。

10月4日

ほとんどの株価は魅力的な水準まで下がっていた。

確かに暴落ではあったが、この程度の下げは何度も経験しており、その度に市場は回復していたため、絶好の買い場と思われていた。

現に信用取引の残高は記録的な水準に達しており、投資家達は強気だった。

そして、株価は再び上昇を始めた。

ただ、何かが変だった。

株価は再び下落に転じた。

それでも10月21日の週までは誰も本気で心配しておらず、安定するまでの下げだと思われていた。

10月22日

ところが株価は戻らなかった。

この日の上昇分は最後の1時間で吹き飛んでしまった。

10月23日

この日はナイアガラの滝のような怒涛の売り注文が押し寄せた。

10月24日「ブラックサーズデー」暗黒の木曜日

朝の寄り付きの値動きはさほど大きくなかったが、取引高が膨大だった。

売り注文が相次ぎ、下落が加速。

寄付きから1時間もしないうちに、未曾有の暴落が始まったことは明らかだった。

これまでの株価の果てしない上昇は、信用取引によって支えられていたが、ついに行き詰まってしまった。

一旦下げだすと、担保価値の下落がさらに売りを誘うという悪循環から、下落はどうにも止まらなかった。

取引所ではパニックが起きていた。

ほとんどの銘柄が何か月もかかけて上昇した分を、2時間足らずでフイにした。

正午を過ぎるとJPモルガンを始めとする銀行家達が集まり、2億4千万ドルを拠出して、主要銘柄を安定させることが決まった。

このニュースが流れると、株価は落ち着き始め、やがて上昇に転じた。

1時半になると、証券取引所の副理事が、USスティール1万株を購入した。

他にも15~20銘柄についても同様の取引を行い反撃した。

この銀行家たちの必死の反撃が功を奏し、市場は一旦安定し、暴落はひとまず止まった。

それにしても大変な1日で、あまりの取引量に取引をリアルタイムで証券会社に送るテープは19時を過ぎてようやくその日の最後の取り引きを流し終えた。

その日の取引高は1289万4650株に上り新記録を作った。

パニックの1日だった。

銀行団の介入によりひとまず大暴落は免れたものの、経済の歯車が大きく変わり始めた。

10月25日、26日

相場は落ち着きを取り戻し、株価は安定していたが、土曜の引け直前に株価は再び下げ始めた。

10月28日「ブラックマンデー」暗黒の月曜日

そして、月曜日、再び暴落が。。。

10月29日「ブラックチューズデー」暗黒の火曜日

この日の取引開始のゴングが鳴るや、嵐のような売り注文が殺到した。

5千や1万株といった大口の投げ売りが続出した。

例えば48ドルまで上昇していた、ホワイト・ソーイング・マシーンの株価は28日には11ドルまで下落し、29日にはメッセンジャーボーイが1ドルで買い注文を出したところ、他に買い注文が全くない中で、本当に1株あたり1ドルで手に入れてしまった。

取引所は大混乱に陥っていたが、それでも容赦なく売り注文が入ってきた。

その日の取引は1641万30株という、とてつもない記録が樹立された。

引け間際になって株価はやや持ち直したものの、各国市場や穀物市場などでも大暴落が起きていた。

10月30日

水曜日になると急に見通しが明るくなった。

USスティールを始めとした数社が特別配当や増配を発表した。

フーバー政権の商務次官も「繁栄は持続する」という声明を出し、投資家達も株価が割安の為、買い始めたことを表明した。

この日、株価はなんと上がった。そして上がり続けた。

ここにきてようやくパニック起こさず対策を講じる条件が整った。

午後13時40分、ホイットニー副大統領は「取引所は翌日の正午まで開かれず、さらに金曜、土曜とも閉鎖されることになった」と発表した。

この発表は新たなパニックを起こすことはなく、むしろ歓迎された。

10月31日

木曜の短い取引の間も回復は続いたが株価の変動は激しかった。

11月1日、2日

取引所閉鎖

 

もはやどの株がいくらで売買されるべきか、誰にも分からなくなっていたのだ。

しかし、最悪の状況は脱した。

とりわけ金融業界は安堵した。

やっと自分の会社を立て直せる状況になったのだ。

売りが売りを呼び、暴落が加速していくさまが見て取れますね。

恐怖や悲観にマーケットが包まれると一瞬にして、このようなことになります。

私などは昨年のコロナショックを思い出してしまいます。

因みに大恐慌時のダウ平均になります。

引用元:ウィキペディア

ダウ平均は1932年7月8日に世界恐慌中の最安値を記録しました。

日本のバブル崩壊時も1989年の最高値から、急にバブルが崩壊したように思われますが、実はその後徐々に崩壊していったように、ダウ平均も29年の暴落を経て徐々に株価を切り下げ30年代に入ってから不景気に突入します。

その後、第二次大戦という特殊状況を挟んだこともありダウ平均は1954年にようやく1929年の高値を更新することが出来ました。

25年もかかっておりますが、日本が未だバブル期の最高値を更新できないでいるよりはマシであります。

おわりに

株の大暴落により、株価の低迷は相当長く続いたようです。

それに比べると、コロナショックの回復スピードはとんでもなく早かったですね。

大恐慌の際は資本の注入が遅れたからであり、日本のバブル崩壊も同様でした。

今回は各国政府がスピードとインパクト重視で巨額の財政出動をしたため、株価は急回復しました。

逆にバブル傾向になっていますが、最近はあまりバブルといわれなくなってきましたね。

バブルの崩壊は株のバーゲンセールになりますので望むところではありますが、売りが殺到しパニック状況の中で、1人買い向かうことが果たして出来るのか。

メンタルの強さが試されますね。

 

ではこの辺で、アディオス!