¡Hola!(オラ!) 凡庸なる投資家ラテン系BOTAです。
8月15日は大東亜戦争(太平洋戦争)の終戦記念日であります。
毎年この時期になると、各局は戦争特集を組み、悲劇を2度と起こしてはならないという結論で終わらせます。
確かに悲惨な戦いだったようですが、悲惨さだけを強調した処で戦争が無くなるかは疑問であります。
結局こっちが戦争をしたくなくても、仕掛けてくる国があれば応戦せざる負えませんので。
本当に戦争を避けるには、こちらも抑止力という刃を磨くしかないのでしょう。
以前、日本が対米英開戦した際に、株価が下落したという記事をどっかで読んだ記憶があります。
株価の下落から、日本の敗北は既に決まっていたという内容だったと思います。
その時はなるほどなと思ったのですが、よく考えて見ると当時はそんなに日本株を海外機関投資家が買っていたわけでもなく、ほとんどが国内投資家だと思うので、本当に開戦により株価が下落したのかなと、ふと疑問に思ってしまいました。
戦争時というのは確かに株価は下落しますが、その後徐々に回復し上昇するというのが、戦後に起きた戦争時の株価の一般的な動きであります。
戦時中の日本の株価というのも少々気になる処でもありますので、終戦記念日は過ぎましたが、戦時中の日本の株価指数をちょっと調べてみました。
日華事変の株価指数
戦前に日経平均はなく東京証券取引所の前身である東京株式取引所(東株)、そして昭和18年に全国の株式市場が統合され日本証券取引所となります。
東株の設立の発起人にはNHK大河でお馴染みのあの渋沢栄一も含まれています。
明治維新から日本の経済は坂の上の雲を追うように右肩上がりでしたが、世界恐慌から段々と閉塞感が漂ってきます。
この閉塞感の打破と中国の度重なる挑発に負け、日本は泥沼の日華事変(日中戦争)へ突入することになります。
日華事変勃発した時点で株価は下落を始めます。
戦時統制が強化され、当然金融市場も統制の影響を受けたようです。
その後、ドイツ軍のポーランド侵攻により、第二次世界大戦が勃発すると、株価は回復します。
これは、ヨーロッパの戦火拡大による日本企業への受注増の結果であります。
まさに「遠くの戦争は買い」ですね。。。
大東亜戦争時の株価指数
真珠湾奇襲による開戦時、政府は株価統制令を用いて株の下支えを画策するが杞憂に終わるくらい、真珠湾攻撃当日の後場は急騰したようです。
意外にも開戦から2年くらいは株価が伸び続け、終戦まで大暴落というほどの下落もなく堅調に推移しています。
これは政府による徹底的な企業統制と公的機関を使用した株価の買い支えによるものだそうです。
昨年のコロナショック時の日銀のETF買いを彷彿とさせるものがありますね。
しかしながら、政府の統制は市場の機能を失わせもはや公的売買の場と化します。
それでも個人投資家を完全に統制の下に置くのは難しかったようで、自由な価格決定の余地はかろうじて残されていたようです。
無制限株式買付(株価維持オペレーション)
昭和19年にサイパン島が陥落すると、政府はより徹底した株価統制を行います。
戦時金融金庫による買い付けが強化され、さらに昭和20年3月9日の最終価格である「3・9価格」で各銘柄の無制限買付を行い株価を下支えします。
空襲により交通・通信が遮断され株式売買・受渡が困難に陥ったため、昭和20年7月2日からは戦時金融金庫に代わって日本証券取引所が買い出動します。
しかし、昭和20年8月9日のソ連参戦により株式市場は停止し、この日の株価である「8・9価格」が戦時中最後の株価となりました。
8・9価格は3・9価格を下回ることが無かったので、政府による株価操作はある一定の効果があったといわれております。
まとめ
結局のところ、敗戦国である日本の株価は政府の強力な統制により株価を維持したまま敗戦の日を迎えたことになります。
そうした中でも、投資家は目ざとく動き、情報が統制され戦局が情報公開されていない状況でも、株価は概ね正しく反応し、市場は自由を完全には失っていなかったようです。
また、戦争末期に軍需株より民需株に買いが入ったとされ、敗戦後を見据えたポジション取りを多くの投資家が行っていた証左であり、いつの時代も株は未来を先取りするということであります。
コロナショックと戦争は似ているといわれていますが、この先日経は高値を維持したままどこへいくのでしょうか。
ではこの辺で、アディオス!